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snowmanさん (8aastn7l)2025/1/17 21:34 (No.1372376)削除祈りの一日であった・・・
授業ネタである…。10を漢数字で書けば「十」となる。では、20は? そうそう、地名などにも使われる「廿」だよな。ならば30は!? 「丗」はなかなか出て来ない。「十」は一世代、「廿」は二世代、「丗」は三世代。延々とつながっているという意味で、「世」という字に変化する。古い形だと「廿」の上に「十」を載せている。震災30年…三世代繋がる年月を経た。しかし、未だ「あの日」の記憶は滅びない。ほんの僅かな差で生死が分かれた。すぐ隣にいた、ごくごく身近にいた人たちが亡くなった。福知山線の脱線事故と同様、命が繋がった(幸いにも)人たちの中に、「生き残ってしまった」という思いが残る。さらに、「なぜ?」という冠詞までついて、今生きている人たち苦しめる。「生かされている~」と家族や知人を失った人が口にした言葉である。ウチの子の病と付き合いながら考えていることがある。「居るのが当然」などということはないのだ。だからこそ、お互いの存在感を大切にしなければならない。先日、獣医さんに言った…「生きよう」という思いと、「生かしたい」という思いの「天秤」の中で、我々は生きている。そのバランスが崩れてしまうと。唇を噛むような「無念」の思いが湧いて来る。震災後30年…鎮魂の思い・祈りとともに!!!