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snowmanの日々の呟き

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snowmanさん (8aastn7l)2024/2/8 00:25 (No.1067734)削除
あかんぞ、ホンマに!!!・・・

念願の「髪切り」に行った。オーナーのプロレス話に付き合うことしばし、軽くなった頭で帰路についた。しかし…しかしである。バイパスを走っていると、先行車が黒い何かを舞い上げた。避けるという選択肢もあったが、ゴムマットのようなものと決め込んで通過した。かなりの音がした…コンビニで停車して確認すると擦った痕跡…。帰宅後、早々に極細コンパウンドにて修復。厄払いが必要…。
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snowmanさん (8aastn7l)2024/2/7 00:39 (No.1066631)削除
ニッポンの風景088・・・

「康成忌むかし浅草紅団」…富安風生の句である。雷門をくぐれば、有名な仲見世通り。好奇心を充足させる煌びやかな通りであるが、いわば表の顔。醍醐味を探るならば、伝法院、花やしき、六区まで足をのばすのがいい。随分と町並みも変わったのだろうが、昔懐かしい情緒が残されている。因みに…総門「雷門」の正式名称は、「風雷神門」であり、風神と雷神を門の左右に奉安していることに由来する。
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snowmanさん (8aastn7l)2024/2/7 00:38 (No.1066629)削除
懐かしい建物である・・・

芸能科校舎から左に折れると、かつての高田工業高校の前を通る道にぶつかる。その正面にあったのが、目をひく円形建物であった。かつては「高田保健所」であったらしいが、一度たりとも訪れたことはない。北城角の下宿で同宿であったUさんが勤務していると聞いて、「ほぅ~」と感動したことを思い出す。今や耐震工事等々で天秤にかけられている。また一つ、思い出が消えるのかも知れない…。
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snowmanさん (8aastn7l)2024/2/6 00:14 (No.1065546)削除
ニッポンの風景087・・・

「潮待ちのまた風待ちの花槐」…宮岡計次の句である。ジブリ映画「崖の上のポニョ」で知られる鞆の浦だけでなく、瀬戸内には数多くの風待ち・潮待ちの港町が散在し、多岐にわたる文化を芽生えさせている。ここ下蒲刈もその一つである。戦時には砲台等が築かれて防壁の役割も果たしたが、蘭島閣美術館別館は小高い丘の上に位置し、対岸へ続く蒲刈大橋と瀬戸の風景を眺めることができる名勝となっている。
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snowmanさん (8aastn7l)2024/2/6 00:13 (No.1065545)削除
ひたすらに寒い・・・

朝起きると、何かが降っている。雨!? いやいや音が違う。ピシピシという音がするので目を凝らすと、何と氷の粒が降っている。「こりゃ、寒いわ~」と早々に退散したが、その内に霙となり、今は横殴りの雨…。2月3日を過ぎたから「立春」の筈なのに、これまたどうしたことか。ニュースを見ると、関東は降りしきる雪の中にある。各地の方々、ご用心の上でご無事に過ごされますように!
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snowmanさん (8aastn7l)2024/2/5 00:32 (No.1064454)削除
ニッポンの風景086・・・

「熔岩裾に朱欒を売れり桜島」…松崎鉄之介の句である。数十年前、さしたる思いもなく、修学旅行の土産として「朱欒(ザボン)漬け」を手にした。何かしらの南国の象徴であったのかも知れない。今なお噴煙を上げる桜島を目の当たりにし、その土地ごとに郷土を象徴するシーンがあることを知った。「そう、あれあれ~あれだよな」と言うだけで繋がれる郷土への愛がある。
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snowmanさん (8aastn7l)2024/2/5 00:31 (No.1064453)削除
R-1は応援しているとな?・・・

新型コロナやインフルが復活し始めているが、折しも入試シーズンである。勉強という勉強もせずに受験をくぐり抜けたわが身を振り返ると、何とも申し訳ない気がするが、各人が目標に向かって確実な一歩を踏み出せればと思う。尤もこれは僅かに残った「教師」としての立場からのエールか!? とにもかくにも、R-1でも食して乗り切って欲しいと思う。「合格(五角)鉛筆」を見て笑った。
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snowmanさん (8aastn7l)2024/2/4 00:11 (No.1063262)削除
ニッポンの風景085・・・

「六甲の裏の夜寒の有馬の湯」…高浜虚子の句である。秀吉が溺愛したとはいえ、有馬は山間のひなびた温泉である。金銀の湯によって大きな旅館群が並んでいたが、最近はなかなか経営も難しいらしい。「温泉神社 薬師寺」との標柱はあるが、薬師如来の導きで訪れた僧行基によって神亀元年(724)に建立された温泉寺…。長い石段を上る親子…父親と思しき人物の手を探る一瞬を、「妙」としてとらえ写した。
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snowmanさん (8aastn7l)2024/2/4 00:10 (No.1063259)削除
昔々の姿だ・・・

渡し船に乗って辿り着いた因島高校…さすがに、この校舎のままではなかったが、歴史を感じさせる建物群が待ち構えていた。僅かな期間であったが、最後は鉄筋の新しい校舎群から旅立った。なぜか、家政科の子たち数人と玄関前で写した写真が残っている。若かった、それに痩せていた。(笑) かつての普通科5クラス、家政科2クラスのマンモス校でなくなったが、「因島高校」の名だけは残っている。
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snowmanさん (8aastn7l)2024/2/3 09:50 (No.1062303)削除
ニッポンの風景084・・・

「原爆ドーム何か失せゆく旱かな」…立石萌木の句である。何度となく、この周辺を彷徨い歩いただろう。問い掛け乍ら、未だにその回答は得られていない。慰霊の日…集う人々も高年齢化した。流れる汗、涙に対して、やはり何一つの解答もなく、世界のあちこちで戦争という暴挙が繰り返されている。正に満身創痍のシンボルタワーである。カラー化された被爆後の映像を見付けた。見覚えのある西連寺のお堂…。
西連寺
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