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snowmanの日々の呟き

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snowmanさん (8aastn7l)2023/11/4 16:50 (No.963464)削除
髪を切って、遊んできました・・・

あまりに髪が長かったんで、切りに行ってきました。(afterは裏に掲げておきます~笑) 髪切り処の並びの酒屋とジーンズショップが撤退して、巨大なアミューズメントになりました。何となく呼んでいるような気がして、フラフラ。(笑) 「加湿クリーナーロボ」とカップヌードル(ミニ6、ジャンボ6)、そしてぬいぐるみをゲットして帰りました。ふふんふんふん~こんなものですな。
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snowmanさん (8aastn7l)2023/11/3 11:13 (No.961875)削除
ニッポンの風景026・・・

「薬師寺の風鐸鳴らす雁渡し」…藤武由美子の句である。見事に再建された白鳳伽藍であるが、礎石の上に建つ堂宇の形式は時代考証の結果であるという。つまり、当時の人々が見ていた伽藍と今は異なるのかも知れない。それでも、我々は創建当初の煌びやかな景色を想起し、遥か昔に思いを馳せる。宗教というもの、祈りというものの威力を改めて感じながら、蒼天の空を仰ぎ見ている。
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snowmanさん (8aastn7l)2023/11/3 11:09 (No.961868)削除
「先生村」ですな(笑)・・・

外堀に面して、高田分校の教職員の宿舎があった。ある意味…恐れ多い一叢の建物群だった。(笑) 深夜、何度かこの前の道を通ったが、誰か先生に会うのではないかという恐怖で、知らず知らず足音を忍ばせていた。今は奥に上越教育大の教職員宿舎が建てられ、手前の宿舎群は基礎を残して駐車スペースとなっている。破壊と創造…世の常かとは思うが、「兵どもが夢の跡」と思えて寂しい。
現在の配置図
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snowmanさん (8aastn7l)2023/11/2 12:20 (No.960741)削除
ニッポンの風景025・・・

「大佛殿見ゆる野遊び終りけり」…藤田湘子の句である。威容を誇る東大寺大仏殿であるが、見下ろすと雰囲気が異なる。平城京の突出部分…藤原不比等のワガママ(笑)のような興福寺に続き、東大寺も異色の存在である。「総国分寺かぁ~」と溜息をつきながら眺める風景だが、規模としては創建時の3分の2らしい。再建に腐心した公慶上人…勧進帳を作り歩き続けた跡は、「公慶道」として大仏殿裏に今も残ろ。
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snowmanさん (8aastn7l)2023/11/2 12:18 (No.960738)削除
2番目の下宿・・・

北城の角、「清水倉代」と表示されるのが2番目の下宿である。天井が傾斜しているという屋根裏部屋であったが、広々として作品は自在に書けた。問題は女系家族の中の男一人という感じで、身の置き場がなかったという苦しさか。雨の中で訪れた建物(画像には2001年11月18日と記される)には、「忌中 俗名 清水倉代 享年 92歳」という表示板が掲げられていた。太っちょのおばさんを思い出した…。
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snowmanさん (8aastn7l)2023/11/1 07:52 (No.959477)削除
ニッポンの風景024・・・

「炎天やいつまでのこる法隆寺」…佐野青陽人の句である。聖徳太子の怨霊封じとさえ言われた五脚の中門は、閉ざされたままに行き来ができない。その両側で睨みをきかせるのが、金剛力士像二体である。何度とない修理によって木造部分が増えているが、本来は塑像である。迫力に変化はない。少々狭いのではないかと思われる中門の空間から身を乗り出しては、「何か用か?」と参拝者を威嚇する。
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snowmanさん (8aastn7l)2023/11/1 07:49 (No.959471)削除
最初の下宿です・・・

「桐木節」と表示される、ここが最初の下宿。玄関を入ってすぐ右の部屋を借りていました。西城校舎裏の綺麗なお宅でした~「墨で汚してはならぬ」と随分と気を遣いました。大きな作品を書くのは無理でした。上越の学会の際にご挨拶に行きましたら、「ちょっとしか居なかったよなぁ」と言われました。今はご夫婦ともに亡くなられて、空き家になったと娘さんからお知らせがありました。
近くにボーリング場も…
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snowmanさん (8aastn7l)2023/10/31 07:07 (No.958288)削除
ニッポンの風景023・・・

「新薬師寺に吾がふく汗も立秋か」…細見綾子の句である。今でこそ小さな寺となってしまっているが、本来の新薬師寺は荘厳な堂宇を構えた大寺であった。奈良教育大学の特別支援学級校舎改築に伴って発掘された旧境内は、東大寺大仏殿をも圧倒する金堂を有する規模であった。日光・月光菩薩を従えた薬師如来像、及び円形に配置される最古最大の十二神将像は、いずれも力感溢れる見事な作である。
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snowmanさん (8aastn7l)2023/10/31 07:06 (No.958287)削除
通学路であった・・・

この地図で言えば下側が北城高校…隣接して三浦先生のお宅があった。当時の北城高校は女子高で、毎朝、女子高生とすれ違うのが気恥ずかしかった。さらに三浦先生のお宅…。いつ先生が自転車で走り出て来るかという「恐怖」に怯えた。3度かな、お宅に伺ったことがある。「小竹クン、ほら!」と指さされた先には、呉昌碩の扁額が掛かっていた。三浦先生は畏怖・畏敬の存在であった。
既に空き家となっていたが…
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snowmanさん (8aastn7l)2023/10/30 08:55 (No.957156)削除
ニッポンの風景022・・・

「馬酔木より低き門なり浄瑠璃寺」…水原秋櫻子の句である。水原秋櫻子(1892年10月9日~1981年7月17日)は、短歌に学んだ明朗で叙情的な句風で「ホトトギス」に新風を吹き込んだと紹介される。「馬酔木」主宰…奈良の風景と馬酔木を重ねていたのか。残念ながら馬酔木咲く頃に訪ねた経験はないが、そこここに密やかに活けられている花たちに、守る人たちの心優しさを感じる。
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