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snowmanの日々の呟き

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snowmanさん (8aastn7l)2022/4/16 21:18 (No.405172)削除
「サクラ、咲いてないね~」という言葉・・・

失礼ながら、向かいの家を「怪しの館」と呼び続けている。いわくありの前の主は会話する相手ではなかった。人目を避けるようにして暮らしている人に手を差し伸べるなど、「小さな親切 大きなお世話」と信じていたからである。男性が亡くなり、女性は午前2時過ぎに夜逃げのように消えた。残されたのは、白黒の猫のみ…。そんなこんなの思い出が、今に繋がっている。
新しい主は四国の人…女丈夫という感じの気の強そうな女性。(笑) 話し掛けられはするが、「深入りする必要もなし」と一定の距離感を保っている。四国から時々やって来る程度の女性が、4月の初めだったか、突然に「サクラ、咲いてないね~」と話し掛けてきた。「四国と比べて」という意味だと解して、「三田は寒いからね」と曖昧な言葉を返した。しかし、最近になって、その「サクラ」は一般的な話ではなく、その「怪しの館」に覆い被さるように生えている巨樹のことではないかと気づいた。
「樹ばっかりやね~」に対し、「でも、後ろがサクラなんだから、春は奇麗ですよ」と返したことを思い出したのである。すでに葉桜…しかし、なかなか見ごたえがある存在感で風に揺れている。ついでに、春告げ鳥ではない例のホオジロが、相変わらず主の車に体当たりを繰り返しながら遊んでいる。
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snowmanさん (8aastn7l)2022/4/16 20:26 (No.405125)削除
花の顔に晴れうてしてや朧月  松尾芭蕉・・・

先ほど外に出て、「あらあら~」と驚いた。慌ててtenki.jpを調べたら…やはり満月でした。「東北は夜桜に満月」と題されて、「きょう16日は秋田でソメイヨシノが満開になり、青森で開花しました。桜が盛りの東北では、月明かりが夜桜を照らしてくれて、まさに『ピンクムーン』と言えそうです。そのほかの地域でも、土曜日の夜に少し夜更かしして、春の夜の満月を楽しむのもよさそうです」という記事がありました。いずれもがtenki.jpからです。
何気なく思い出しましたが、「朧月夜」ってきっとこの頃ですね。「文部省唱歌(六年)」とありますが、難しい歌です。当時の子どもたちは理解して歌っていたのでしょうか!?

朧月夜
高野辰之作詞・岡野貞一作曲

菜の花畠(ばたけ)に、入り日薄れ
見わたす山の端(は)、霞(かすみ)ふかし
春風そよふく、空を見れば
夕月(ゆうづき)かかりて、におい淡(あわ)し

里わの火影(ほかげ)も、森の色も
田中の小路(こみち)を、たどる人も
蛙(かわず)のなくねも、かねの音も
さながら霞(かす)める、朧(おぼろ)月夜


完全な満月は午前3時くらいですが、台風も突然に温帯低気圧なったようですから、細かいことは抜きにして輝いている満月に見とれてみるのも一興かと思います。
明るい満月です
tenki.jpから
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snowmanさん (8aastn7l)2022/4/15 11:54 (No.404056)削除
心温まる試みにホッとする・・・

新型コロナ禍に阻止されて、ここ何年かは「初詣」していない。お蔭で、良きこともなき一年が過ぎて行く。(笑)
兵庫の学生が、「交通安全の**神社に家族で初詣に行ったけれど、帰りに事故った」と話したのに大笑いしたが、ここ三田で近隣の大寺となると…宝塚の中山寺になる。正式には「紫雲山中山寺」となるか…本尊は十一面観世音菩薩、西国三十三所第24番札所である。名を聞けば既にお分かりの方もおられるだろうが、中山寺は「安産祈願」の寺である。「中山寺の『鐘の緒』は、出産の無事安泰を祈る『安産の腹帯』として、本邦随一の霊跡と、古来よりその伝統をもち、深く信仰されてきました、 ことに幕末には、中山一位局が当山の鐘の緒を受け明治天皇を御平産されてより、明治天皇勅願所として霊徳をたかめ、『安産の寺』として名高く、安産を祈る人々が全国から腹帯を戴きにまいられます」とあるから、「初詣、どこに行った?」に「中山寺~」と応えると、多くの人が苦笑か爆笑する。(放っておいてくれ! 家内安全・交通安全もある。)
最初、ナビの導くままに走ったが、とんでもなく狭い路地に導かれて往生した。以来、ナビは信じず大通りを走り、近くの駐車場に停めた。降りて電車のガードをくぐれば僅かな門前町があり、中山寺に至る。ガード前のビルの1階に、「MUSEUM Café みゅ~ず」という店舗がある。さまざまな教室がある興味深いCaféなのだが、表に本箱が置いてある。「スマホをおいて本を読もう」…なんという素敵なフレーズだろう。小さな声だが、エールを送っておいた。
紫!!! 紫雲山ですからね…
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snowmanさん (8aastn7l)2022/4/15 10:55 (No.404025)削除
happy-go-lucky ジイジの観察日記 03・・・

適度な荒れようが気に入っている。
生来、片づけは苦手という人間である。結果として、手入れが行き届いた整斉とした「庭園」は造れない。とはいえ、荒れ果てた庭も無残…。そんな「整斉」&「荒れ」の微妙なバランスの中で箱庭は生き続けている。
束の間の雨上がり、箱庭を眺めては「適度な荒れ様ではないか?」と悦に入っているジイジがいる。「バランス」を言いながら、巨大ミッキーマウスの下半身が映り込んでいるのはお許しいただくとして(笑)、ハコベも生き長らえている「さまざま園」の風情…。あれだけ憎しみをぶつけていたスギナも、ここでは構成員の一草である。もう少しすると、左のシャガが咲き、続いてシャクヤクとカキツバタが咲く。左に冬の間咲き続けた蝋梅と酔芙蓉(生きているか!?)を衝立としている箱庭は、右手の方に木槿を置きながら延伸し、今は盛りの御殿場桜、林檎、花桃と立ち上がっていく。片づけが苦手な人間が試みている「箱庭作戦」も、今のところ何とか成功していると自画自賛している日々である。
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snowmanさん (8aastn7l)2022/4/14 10:39 (No.403401)削除
happy-go-lucky ジイジの観察日記 02・・・

スズランは湿地帯に育つものと誤解していた。だから、ウッドデスク、チェアーの下で、陽を避けるように育てていた。「誤解だ!」と示したのは、外ならぬスズラン自身…日向に向かって一斉逃亡を始めた。遅まきではあるが、反省して「上の覆い」を解体処分した。
今春、見違えるように数多くの芽が頭をのぞかせた。「すまんかったね~」と簡単な詫びを一言…ついでだからと数を数えかけたが、100芽を越えたところで断念した。そして、「いっぱいやね~」と簡単な一言で括った。(笑) 特にメインでない(例のハコベに埋もれていた方)第二群落が絶好調である。
上では可憐な花を咲かせるが、少し掘り下げると旺盛な繁殖力に驚く。数年に一度は掘り下げて株分けが必要となる。2~3芽をつけて分けていくと、完全クローンができていくので、思いのままの群落を作ることができるはず。注意としては、毒性があるのでゴム手袋が必要ということですね。
第二群落
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snowmanさん (8aastn7l)2022/4/14 10:23 (No.403392)削除
猫椅子・・・

久し振りの雨。
静かに、滴るように降る雨もいい。
玄関の軒下に小さな猫椅子を置き、
雨音を聞きながら、
ぼんやりと、
樹々や草花が濡れていくのを見つめている。
至福の一時…。
雨音が止んだ〜直後、
鮮やかなウグイスの一声。
なんという贅沢な朝だろう。

風が吹き始めた。
遠くからの便りに、
耳をそばだたせる。
葉のこすれる音の中から、
葉の硬さや茂り具合を知る。
遠くでは風が唸っている。

どこからか、
カエルの声が聞こえてきた。
アマガエルはまだ、
憎々しいトノサマガエルの、
野太い声が地を這う…。

今日一日が平穏でありますよーに。
今日一日が幸せでありますように。
猫椅子を取り巻く、
小さな宇宙の物語…。
猫椅子
自然の造形
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snowmanさん (8aastn7l)2022/4/13 09:38 (No.402795)削除
いろいろな思いが詰まっている・・・

旧高田信用金庫である。黄昏時にホテルを出て歩き始めた。本町通りも既に昔の面影はなし。「雁木」というより、これは既にアーケード。機能というよりも見掛けの飾りになってしまったように思う。かなり歩いて、懐かしい高田信用金庫の前に至る。
「いろいろな~」とは言うが、楽しかった思い出は数少ない。多くが苦渋に満ちた作品制作の日々と結びついている。「書けない」とは言えなかった…。いやいや、そんなことを呟いている間に筆を執り、書かざるを得なかった。それも、一定レベル以上の作品を提示しなければならなかった。自分がそれを望んだ部分もあるが、「書ける人間」というレッテルを貼られてからの日々は戦いだった。まぁ、「書けない人間」と言われるよりはましだったが、「展覧会命」という毎日は、精神衛生上も好ましいものではなかった。ただし、公募展とは異なり、ここで展示する作品は「試みの発表」だったから、ありとあらゆることをやったように思う。南城のアパートで、長大な墨流しの紙を制作したこと。ろうけつ染めのような作品を制作したこと。そして、手作りの表具表装作品の展示…。何一つ無駄なことはない…そう思ってさまざまなことに取り組んだ。「仮名が書けない小竹クン」に反発し、ひたすら仮名作品の練習をして展示したこともある。ただし、K教官の正筆会の仮名ではなく、骨力ある日比野五鳳先生の仮名であった。展示の日、「小竹クンは、五鳳先生になったねぇ~へっへっへ」というK教官の声を背中で聞いた。完全な冷やかしの声だったが、「似ている」と受け取られたことは、逆にエールのように聞こえた。
人は…多くの場合、他者を特殊化することによって自らの苦しみを回避しようとする。それは学生時代だけでなく、走り続けた50年の中でも同じようにあった。「さすがですね」&「やっぱり先生です」は当たり前の表現で、極端な言い方をすれば「先生なら、できないはずはない」という言い方となった。つまり、特殊な才能を持っているあなたならできるだろう。そういう意味で、「あなたは特別」と言って自分を許している人間たちがいたのだろう。レベルは違うが、かつて「エレきの神様」と呼ばれた寺内タケシが、「天才ですね」と言われて血に塗れた指先を隠したのと同様である。「あなたなら…」「さすが…」という言葉は、個人の血の滲むような努力総てを蓋で覆う。
そんなことを考えながら、懐かしい建物を見上げていた。3階がホールだったかなぁ~しんどい日々であったせいか、展示会場内ではなく、窓から眺めていた本町通りの景色ばかりが思い出された。好きだった旧高田市役所の建物も今はない…。
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snowmanさん (8aastn7l)2022/4/13 08:33 (No.402768)削除
happy-go-lucky ジイジの観察日記 01・・・

きりなく書いてしまうんで、「happy-go-lucky ジイジの観察日記」として一つにまとめることにしました。(笑)
昨日、「これも…」と言っていたのはビックリグミの花です。ほぼほったらかしなんですが、毎年数百という実りがあります。サクランボがもてはやされる時代、グミ(茱萸)は古代植物のような扱いですが、まだまだなかなかの存在感です。房成ですからね…。
さて、さまざまな植物が目覚め始めていますが、酔芙蓉だけが目覚めない。ええ、枝で失明しかけた酔芙蓉です。「冬眠が永眠になったか…」と心配しています。うーん、この鉢が置いてある場所がいけないのかなぁ…雨水が大量に注ぐ場所なんですがね。前回のザクロも、前々回の月桂樹もアウトでした。
御殿場桜も満開、横では林檎の開花が始まっています。同じ種の植物ですが、花が中心か、実が中心かで、花の主張が違います。
御殿場桜
満開の御殿場桜
林檎の花
別の林檎の開花はまだ…
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snowmanさん (8aastn7l)2022/4/12 14:09 (No.402380)削除
ちょっと避けておいてね・・・

玄関脇の鉢に棒をさし、その先のフックに蚊取り線香を引っ掛けている。だから、玄関を開けると線香の薫り…。
虫が多くなった。春だから当然なのだろうが、小虫ならばまだしも、スズメバチや足長バチまでやってくる。かつて蜂に刺されたことがある人間、アナフィラキシーには過敏になっている。最近は蜂の害が多いようで、DIYショップなどでは「蜂対策コーナー」まで設置されている。とりあえずの対策として、「バズーカ」という恐ろしげな名称のスプレー型を購入したが、飛んでいる蜂が撃墜されたのには慄いた。いやいや、そこまでのことを求めているわけではない。「来てもいいけど、少し距離をおいてね」というレベル。それには蚊取り線香がいい。(笑) この薫りは懐かしい…。大学時代の下宿の薫りである。当時は…これしかなかった。一晩、蚊取り線香をつけていると、服にニオイが移った。つまり、次の日には「蚊取り線香臭い若者」が町を闊歩していたことになる。
桜は既に終わろうとしているが、林檎も、そして…これも。総てが花盛り…この時期は大変。「これも」という花がお分かりならば達人と思う。
これも…
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snowmanさん (8aastn7l)2022/4/12 13:43 (No.402368)削除
花を連れて帰るとき・・・

よほどのことでない限り、花の名前を覚えなくなった。まぁ、それらしいカタカナ語にうんざりしていることもあるのだが、「覚えてどうなる!?」という変な理屈が記憶することを拒絶している。昨日、ハコベとの格闘の末に救出したスズランなどは、「なんという花ですか?」と聞かれた際に、「スズラン~鈴のような花が咲くんだよ」と名が直結するが、例えば、この花の「トロリウス・アルタイクス」の名前など、何の役にも立たない。(その道の専門家には通じる内容なのだろうが…) ただし、育てる上での参考として「種の起源」については記憶することにしている。
昨日の午前中、いつものようにヤクルトのお姉さんがやって来た…。玄関横に植わっている「トロリウス・アルタイクス」を見て、「なんというお花ですか?」と聞いた。笑いながら、「名前は知らんよ~キンポウゲ科の花」と応えた。買ったときについていた札も既になし…午後になって、一応はと思って「キンポウゲ科」を頼りに調べたら、「トロリウス・アルタイクス」という名前が出てきた。「トロリウスアルタイカスは、アジアとヨーロッパ原産のキンポウゲ科の観賞用植物です。この植物は通常、濡れた場所、特に谷で育ちます」と解説されるから、日陰のツワブキの横に植えたのは間違いはなかったようである。
大体、「小諸なる 古城のほとり  雲白く 遊子(ゆうし)悲しむ  緑なす 蘩蔞(はこべ)は萌えず  若草も 籍(し)くによしなし  しろがねの 衾(ふすま)の岡辺(おかべ)  日に溶けて 淡雪(あわゆき)流る~」美しく謳い上げた藤村先生だって、「何で『ハコベ』っていうんです!?」と聞いたら、苦虫を嚙みつぶした顔になったことだろう。
学生にいつも言っていたことがある。
人間が覚えられる量には限界がある。だから、総てを覚えようとするとオーバーフローして息苦しくなる。忘れてスペースを空け、新しい知識に反応すればいい。ただし、忘れていく際には「検索の糸」をつけておくことが大切だ。忘れたときに、その糸を辿りながら調べてみればいい。覚えることだけでなく、忘れることも必要なのだ。ただし、いつでも帰ることができる「地図」を手に携えて。
ウチの子
図鑑の画像
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