s
snowmanさん (7j5166em)2022/3/1 20:40 (No.372400)削除これまた悲しい話・・・
最初の一言…「小竹! バスケットをやらんか、バスケットを!」 藤田修一先生は、高田分校の体育教官だった。「附属に丸山がおっただろう…教えてもらったか?」…思いも掛けない一言だった。附属高校在籍時、バスケットの練習をしていると付属小学校の方からノッシノッシと歩いて来られたのが、忘れもしない丸山芳郎先生。「ポストプレーはなぁ~」と教えて下さったが、その屈強な肩に押されてよろめいた。丸山先生は笑っていた…。丸山先生は上越教育大学の教授として、高田の地に戻って来られた。しかし、その先生も…既に亡い。
https://www.caresapo.jp/fukushi/sekizui/pd4fc8000000e0od.html
https://www.caresapo.jp/fukushi/sekizui/pd4fc8000000f0b9.html
浅黒い顔をした藤田先生は、いつも「困ったヤツだなぁ~」という表情でプレーを見つめていた。元は附属中学校(小学校?)の教官だったはず。慈愛に満ちた優しい人だった。
ネットを彷徨っていて、訃報を知った。
昨日、新潟大学のバスケットボール部の指導者として輝かしい伝統を築いた藤田修一先生の訃報が先生の教え子から届いた。バスケットボールに全くの素人だった私が工短のバスケット部の指導者としてまがりなりにも今日までよちよち歩きでやってこれたのは先生の教えがあればこそだった。私が「打倒!新潟大」を合言葉にしてバスケの指導者としてスタートした事を知りながら?様々な局面で適切なアドバイスをいただき本当にありがたかった。お酒好きの(御本人は本当は酒は好きではない、一緒に飲む人がいなければ一滴も飲まなくて平気だと言っていた)先生は、私が下戸だと知ってからも「お前は酒を飲めないからなぁ」と言って笑って話し相手にしていただいていたものだ。大学の大会がある晩は必ず酒席が用意されていてバスケットの話に花が咲いたものだ。
私の知っている先生の周りにはいつもバスケット好き、酒好きが集まって楽しい時間を過ごしたものだった。
多くの人に愛された方だった。新潟には、「藤田修一杯」のバスケットボール大会が遺されている…。(合掌)