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snowmanの日々の呟き

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snowmanさん (7j5166em)2022/2/19 20:53 (No.366934)削除
『春待ちSHOT』07・・・

兵庫時代の研究室の窓からは、学内を一周する周回道路が見えていた。正面には役目を果たした焼却炉があり、その横の細い坂道の奥には電源施設があった。焼却炉が現役の頃には、大きな段ボール箱を抱えては何度となく歩いた道である。細い坂道の脇には、早春に存在感を示す一本の若い桜が生えていた。周辺は雑木林だから、誰かが意図的に植えたとは思えない。1978年創立の大学、実生から育ったとしたら樹齢は30~40年程度の桜であるが、それこそ春を告げるに相応しい自己主張を繰り広げる。山桜より、染井吉野より色濃く、花も大きい。立ち寄っては風に揺れる花房を見続けていた時期がある。
『春待ちSHOT』07
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snowmanさん (7j5166em)2022/2/19 20:37 (No.366924)削除
続くマイナス5度・・・

加えての雨である。とにかく寒く、冷たい一日が過ぎて行く。満月SNOWMOONを挟んで好天が続いていたのにと舌打ちをする。特に今日は…車のウォッシャー液までが凍っていた。
そんな中で、「落胆の高木菜那 2度目の転倒は苦笑い『左足がいうこときかず、スケートが持っていかれた』」という悲しいニュースに心が沈んだ。気の毒だとは思うが、「自分がコーチングしている選手なら許さないな…」と思った。きっと、第1回の転倒から学ばなかったのだ。転倒したショックを回復することに終始してしまい、2度目のアクシデントを引き起こした。同じ場所で、同じように転倒するということは、結局は学びがなかったということ。
例えばバスケットでシュートが入る。それを「ラッキー!!!」と喜んでいるようなプレーヤーは成長しない。つまり、なぜシュートが入ったかを分析しないから、再現することができない。逆にシュートを落とした場合も同様で、運が悪いなぁ~「アンラッキー」で澄ますようでは話にならない。妹の高木美帆が言っていたが…パシュート敗戦の翌朝に「それがね…『考えてみれば銀メダルでも凄いことなんだよね』としれっというんですよ。ちょっとびっくりして…」が、学びのなさを表している。楽天的なノー天気が持ち味で愛されるとしても、アスリートとしては大成しない。妹に先を越された口惜しさだけでは追いつけないし、同様に「事故だと思って切り替えよう」でも克服できない。非情な言い方をすれば、起こるべくして起こった転倒である。試合後の「ラスト、エッジングだったりとか、ぶつかってしまって。左足がいうことをきかなくなっちゃってたなというのがあって。ラスト、足がきて転んだというよりは、スケートがもってかれちゃったという感じだったので。なんか、今回の…そういう感じです」という意味不明なコメントが、その学びのなさを物語っている。
SNOWMOON
雨が続く…
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snowmanさん (7j5166em)2022/2/18 13:50 (No.365873)削除
『春待ちSHOT』06・・・

相変わらずの冷え込みに苦しまされている…。何しろ。、連日のマイナス5度だ。昼過ぎになって、やっと日差しの暖かさが感じられるようになった。ただし、風が吹かなければ…の話である。日差しは春を思わせるが、この見た目と実質のギャップに翻弄される。
日差しの中の景色は眩しいほどに明るい。そんな中、「太陽は!?」と探すよすがにしているのが「影」である。影によって光の在り処を知る。影の濃さによって、今日の日差しの強さを知る。微妙に言い切ることができない「表裏一体」の関係であるが、光だけでなく影を探してみると世の中の見方が変わる。そう考えれば、人間界も一緒か!?
『春待ちSHOT』06
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snowmanさん (7j5166em)2022/2/18 12:56 (No.365845)削除
しみじみと…20年前かぁ・・・

画像のプロパティには、「2002.08.03 21:27」と撮影の時刻が刻まれている。写っているのは第19回生8名、第20回生6名の14名、駅の裏にあった長養館が会場であったか。「もう20年も前なのか!?」と驚くが、「同窓会をやりたい」という思いに応えて開催に尽力した。何回まで続いたかは知らないが、よくあるパターンでいつの間にか消えた。少なくとも、この時点ではこの14名は生きていた…。それからの20年で、この内の2名がこの世を去った。あの日、あのとき、誰がそのことを予感していただろう。
西蓮寺書會…つまり師匠であった和尚さんの長女J子サンの陶印の展示会に伺った際、「またね~」とお別れをした。「またね」は次の再会に向けた約束、大切な約束だと信じている。親愛なる寿山勝久をことあるごとに思い出すが、彼は「またな~」の約束を果たさずに逝ってしまった。その意味では、未だに「嘘つきめ!」という恨み言を抱き続けている。何気なく交わしているかもしれない「またね~」「またな~」について、各人はその約束を果たすために、全力で戦わなくてはならない。その約束を果たすことができなかったら、人が抱いている大きな期待を裏切ることになるのだから…。
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snowmanさん (7j5166em)2022/2/17 15:42 (No.365350)削除
『春待ちSHOT』05・・・

「プレパト」に魅せられている。特に「才能査定ランキング」の俳句部門はおもしろい。他の部門でも参加芸能人の多彩な才能に驚嘆するが、この俳句部門は納得した上に、切り口の爽快さに引き込まれて行く。その原点というか、中核となっているのは夏井いつき。自らを「毒舌俳人」とさえ称するが、学びの多い番組である。先日は、『プロフェッショナル 仕事の流儀』(NHK総合)にも登場した。ただし、あまりメディアへの露出が多いと、「謎」の部分が消失していくのでありがたくはない。(笑)
共感するのは、「その夏井氏に、芸能人たちが作った俳句がボロクソに言われたり、絶賛されたりするのだが、他のクイズ番組と違うところは、俳句には『正解はない』ということ。東大生並みに知識を詰め込めば及第点を得られるというわけでもなく、付け焼刃的な攻略法はない。言い換えれば、誰にでも心に響く『いい俳句』を作ることが出来る可能性があり、これまでの人生で培ってきたセンスが試される場ともいえる。そうした場の中に、芸能人・著名人の挑戦者たち、さらには視聴者たちを夢中にさせる魅力がある」という点。「正解はない」というより、「正解は一つではない」という取り組み方は、生き方の難しさは生むが、挑戦する楽しさをもたらす。「山の頂は一つだが、登り方は無数」と言い続けた自らの授業の「哲学」にも通じる。教育というものが、一番忘れている部分でもある。難しい挑戦だが、それが人気を博するのを見ながら、まだ世の中は捨てたものではないと思う。難しくないものに、楽しみも、喜びもない。いやいや、書も写真も同じなのだがね…。

いもうとの白く妊る桜かな  夏井いつき
『春待ちSHOT』05
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snowmanさん (7j5166em)2022/2/17 11:58 (No.365281)削除
聞いてみるが、応えず・・・

寒い! 玄関の温湿度計(付時計)は室温5度を指したままで、6度を越えようとはしない。外は快晴、風さえなければ陽だまりの暖かさを感じられそう。しかし…寒い! 幸いにも降雪はなかったが、低気圧の南下で夕刻には雪マークがついている。広島は積雪だそうである。「ここが寒気のそこだそうです…」と聞いた。「そこって、どこやねん?」とウチの子に聞いたが、完全無視で応えることもなく、絶望的な寒気団の中での一日が過ぎて行く。
こう寒くて引き籠っていると、何かしら些細な、小さなことにも言い掛かりをつけたくなってしまう。(汗)
「生姜湯~」と切望して買い込んだパック…「尾道発」という言葉に魅かれた。何しろ教師としてスタートしたのは因島、現在は尾道市である。さらに、「猫マーク」と思しき枠取りに囲まれている。この辺りの名産といえば、最近流行りの「瀬戸内レモン」である。しかし…見る限り、飲む限り、レモン味はどこにもない。裏返して成分表を見てみた。糖に関しては「北海道産」「沖縄産」はあるが、しょうがの産地は何処じゃ!? 当然、レモンなどが含まれているという表示もない。うーむ、正直すぎる企業ゆえに生じた疑問か? せめて…しょうがだけは尾道産であって欲しいは、絶望的な願いとなって風に吹き飛ばされて行った。
向東町とは、あの向島だよね~。景色がいいという以外には何もない高見山展望台がある所だよね~。おっと大切なことを忘れていた…このお店を過ぎて東に向かうと、自動車の運転免許に貢献してくれた尾道自動車学校があるはず。よくまぁ、因島から通ったものと改めてしみじみ…。
温湿度計(付時計)
凍結(驚)
完全無視
高見山展望台
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snowmanさん (7j5166em)2022/2/16 11:13 (No.364660)削除
『春待ちSHOT』04・・・

北陸地方で「春一番」が吹いたという。そのニュースを聞いて、明朝の冷え込みを恐れる人間である。
「春一番」と聞いて、思い出すのはキャンディーズか!?(笑) 歌は「雪が溶けて 川になって 流れて行きます つくしの子が はずかしげに 顔を出します もうすぐ春ですね」と始まって続いていく。この作詞家は情緒的すぎて誤解があるようだが、少なくともこの「春一番」が気象庁を動かしたとの説はある。「気象庁には『春一番』の問い合わせが殺到するようになり、気象庁は春一番の定義を決め、昭和26年(1951年)まで遡って春一番が吹いた日を特定し、平年値を作り、『春一番の情報』を発表せざるをえなくなっています。というより、春一番という言葉が浸透したことを利用し、防災情報の充実をはかっています。ヒット曲が気象庁の業務を変えたのです。<引用:ヤフーニュース 2019年2月2日の記事 饒村曜「キャンデーズがきっかけ 気象庁の『春一番』の情報」より>」とある。何ともお騒がせなことよと苦笑する次第…。「春一番」という言葉の雰囲気に惑わされてはならない。急激な寒波がやってくる前兆である。
『春待ちSHOT』04
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snowmanさん (7j5166em)2022/2/16 10:40 (No.364648)削除
降る雪や想い果てなきことばかり  髙橋喜平・・・

朝方、ひときわ明るい星が東の空に輝いている。しかし、僅かに日が昇り始めると、星は確かにそこにあるのに目に見えなくなる。星は確かにそこにあるのに…。

友よ…!
僅か一年という月日であったが、同じ越後高田という地で過ごした。「青春」という輝きの中の一年は、100年に匹敵する重さを持っているのではないかと思う。さほど話すこともなく、何かを共にしたという記憶もない。しかし、紛れもなく我々はそこにいた。遠い記憶を辿れば、はにかんだような悪戯っぽい少年の顔が浮かぶ。ちょっと上級生にちょっかいを出しながら、半身になって逃げていくシャイな少年の顔があった…。

友よ…!
「青春」の一年が100年に匹敵するとするならば、少し早くないか。まだ、その半分程度しか生きていない。あの町でのことを語り尽くすには、まだまだ足りないのではないか。我々の卒業後、どんな人生を歩んだかの詳細は知らない。しかし、信じているのだ…あのシャイな少年は誠実な教師であったことだろうと。「教頭」という職を得て、自分とは違った人生は歩いただろうが、最後は「教師」という仲間に戻っていた。

友よ…!
心配はしていたのだ。マメに返信をよこす君から、ここ数年、賀状も返って来なくなっていたことを…。届いたのは、素敵な文面の「葉書」だった…限りなく悲しい内容の「葉書」だったが、美しい文面であった。少なくとも10年後までは隠しておいて、そのとき受け取ったことにしよう。友よ…。

昨日、訃報を知らせる葉書が届いた。自分が4年生のときの1年生…蓮芳会会報には「第22回(昭和49年3月卒)」と記されている。この学年も4年生の我々同様に男子が多い学年であった。しかし、強烈な上級生たちの中にあって、新入生たちは「かまわれる対象」であったように思う。
昭和56年の蓮芳会会報14号の「思い出のアルバム」には、「春日山にて」と題した写真が掲載されている。右側で女子(網師女史か?)を抱え上げている男子二人の左側が彼ではないかと思う。皮肉なことに、右側の男子は宮川氏…。「運命と言うものは…」と恨む以外ない。
薄情な人間である…同級生であっても、卒業後にどんな職にに着いたか、どんな人生送ったかを一々把握することもない。時おり御本人が伝えてくれる情報のままに、出会っても昔のままに「おぅ! 元気か!?」と声を掛ける人間である。その人間が、珍しくYahoo!の検索窓に彼の名を打ち込み、会いに行った。50年・・・君も年とったな。(笑) しかし、あのはにかんだような「中途半端」な表情を残して年老いているのが、嬉しい。蓮芳会会報に書いた原稿の最後に、「50年か…。今、見ている景色が、貴方が本当に生きたかった人生であるならば嬉しい」と記した。きっと彼は胸張って「YES!」と応えるだろう。少し早いが、ゆっくりと休め…。(合掌)
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snowmanさん (7j5166em)2022/2/15 11:56 (No.363988)削除
『春待ちSHOT』03・・・

「桜茶」にはまっていた時期がある…。ほんのりとした桜の薫り、そして花開く様に魅せられたが、「塩分過多」という現実的なオコトバに圧し潰された。(笑) 「桜茶がダメなら…」と「桜餅」に挑んだが、これまた「糖分過多」という天の声に妨げられた。(笑)
ただただ花弁を散らすソメイヨシノでは不可能な「桜茶」、花としては重いイメージがある八重桜でないと作れない。兵庫教育大学の外周道路で、八重桜を摘んで塩漬けにしたこともある。結局は…どの季節になろうが、瞬時に春に引き戻してくれるモノなのだろう。湯の中で静かに花開く「桜茶」…あの春の思い出が、人の心の中でしなやかに解かれて行く。
『春待ちSHOT』03
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snowmanさん (7j5166em)2022/2/15 11:43 (No.363981)削除
思うこと多し・・・

「高田城ノ(雪景)」と印刷された一葉の絵葉書がある。あの越後高田の城址のようだが、「どこ!?」と考え込んだ。手掛かりは、左上に押されているスタンプ…「高田開府300年祭」とある。高田高校校友会東京支部の記録の中に、「高田開府300年祭を振り返る」と題した高橋誠(高26回)の記事がある。「大正2年(1913)9月10日から16日、高田開府300年祭(紀年祭)が盛大に行われた。『数え』で300年の年であった」…なるほど、スタンプの「★2.9」は「大正2年9月」を、そして「★1913」は西暦を押しているのか。記事はさらに続く…「江戸時代末期、高田藩は依然として越後最大の藩としての力を失ってはいなかった。ところが、廃藩置県によって県庁の所在地は高田から柏崎、そして新潟へと移り、政治・経済の中心から外されていく。それを救ったのは、石油産業や水力発電によるエネルギー革命だったと言われている。頸城油田の開発は信越線の敷設を促し、明治40年(1907)には高田・直江津・新井に電灯が灯った。明治41年の第13師団誘致成功、それに続く高田市制施行やスキーの発祥などは、これらインフラ整備のおかげだとも言われる。大正2年には北陸本線直江津・米原間が全通し、頸城鉄道株式会社が開業した。高田開府300年祭は、こうした高田の再生・復活への歩みと、それに呼応した市民のエネルギーを象徴するイベントであったと言えよう」
「そうか…」と気付いた。自分が知っている高田城址は、師団司令部を流用した芸能科校舎を基盤にしているが、「明治41年の第13師団誘致成功」となれば、この絵葉書は「何もない時代の城址」の姿なのだ。石垣のない古城跡とはこんなものか…。記憶と照合すると、遠くに見える立杭の列が通い慣れた本丸から出てくる坂道、そして土山(土塁)の上の雑木林の所には現在三層櫓が建っていることになる。手前の湾曲する道は、現在の「極楽橋」に通じるということになるのか? 師団入城によって地続きになったというから、この時代にはまだ橋があったのだろうか?
今まで考えもしなかった「思い出の先」の像に、「ほぅ」と思うこと多し。
さらに、「文芸 たかだ 第138号」(昭和57年3月25日発行)の裏表紙には、先日扱った「やすね」の広告が掲載されている。当時の大スポンサーであったのだろう…。有馬稲子さんかぁ~小柄だったけれど美しい女優さんだった。1932年生まれというから、既に89歳か。これまた、時の流れということで思うこと多し…。
高田開府400年祭
有馬稲子サン
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