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snowmanさん (7j5166em)2022/1/14 13:37 (No.345878)削除玄関の「猫」が叫び続けます・・・
「赤色! このままじゃ、身体が心配!」「かちん こちんに凍っちゃう!」と「猫」が尻尾を赤色に光らせながら、必死で叫び続けます。そりゃそうだな…玄関に掛けている時計の温湿度計は、6度以下の気温を示しています。室内でこれですからね…既に「限界集落」かと思います。本来の「限界集落」とは、「過疎化や少子・高齢化が進み、人口の50%以上が65歳以上の高齢者となった集落のことです。 また、限界集落の『限界』とは、過疎化・高齢化の進行により農作業や生活道路の管理、冠婚葬祭など、集落としての共同体の機能を維持することが“限界”に近付きつつあるという意味」ですが、この地は「極端な寒冷地であって、生活機能が阻害され始めている」という意味での発言です。人の往来がなく、人が動かなくなっています…。
附属のバスケのマネージャーだった子が、「大変な寒さですね。ぜひ二重サッシをお勧めします。盛岡の時、2枚目はプラスチックのペラペラなのがついていたのですが、あるとないでは全然違いました」というアドバイスをくれましたが、結局は兵庫県、そして三田市という「体面」から、全く防御していない街です。だから、総てがバンドエイドのような間に合わせ対策になります。そんなことを考えていると、何気なく暮らしていた越後高田の町は「防御都市」だったんだと思います。そんな備えある町が雪に閉じ込められていると聞くと、「こりゃ、太刀打ちできないわ」と溜息をつきます。
上越市のサイトに、懐かしい「道」が載っていました。芸能科に登っていく雪道ですね…我々の時代には三層櫓はありませんでした。それに、こんな程度の積雪ではなかったです・・・。人が埋まってしまう深さの雪、僅かな踏み分け道を恐る恐る歩いていました。「降雪・積雪が減っている」と聞きます。とすると・・・例年を頭にした油断が、雪国さえも危機に落とし込んだのでしょうか。下宿のオバサンが語ってくれた話、「昔、朝は普通に歩いて行ったのに、帰りは電線を跨いで帰って来た」はいつのことだったのか分かりませんが、上越タウンジャーナルには「積雪世界一 8m18cm! 上越市板倉区柄山の春」という見出しで、「気象台、測候所がある所の記録では、上越市高田で1945年(昭和20年)2月16日に記録した3m77cmが最高。歴史をさかのぼると、1665年(寛文5年)の12月27日には1丈4尺(約4m2cm)の大雪があり、そこに大地震が起き死者千数百人を出した。1681年(天和元年)には、「この下に高田あり」の高札が建てられたほどだ。鉄道沿線の記録としては、1945年(昭和20年)に長野県の飯山線にある宮野原駅で観測した7m85cmが最高。ほかに富山県大山町真川で1945年(昭和20年)に記録した7m50cm、長野県小谷村中土で1927年(昭和2年)に記録した7m42cmなど、7m台の記録がいくつかある。久々野(柄山)集落で、1927年(昭和2年)2月13日に記録した27尺(8m18cm)というのは、まさに信じられない積雪記録なのである」との記事がありました。そういえば…入学した年の冬、除雪車が他所に駆り出されて交通網が遮断されてしまい、目の前を馬橇(そり)が走っていくのを見ました。ええ…二階の窓から、目の前をです。(滝汗)
気味の悪い朝焼け
昼間の雪