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snowmanさん (7j5166em)2021/9/22 14:03 (No.280580)削除いのち得て恋に死にゆく傀儡(くぐつ)かな 眞鍋呉夫・・・
『定本 雪女』からの一句である。「くぐつ」と読むか、「かいらい」と読むかで印象は変化する。西洋風にパペット、マリオネットというと重々しさが消えてしまうが、少なくとも「くぐつ」は呪術的で神秘性を秘めている。
きっかけは大鳴門橋記念館の「淡路人形浄瑠璃館」であった。「ととさまの名は阿波の十郎兵衛 ~」と絞り出される語りに合わせ、あたかも生命を得たかのように文楽人形たちが動く。そこにあるのは既に人形ではなく、魂を持つ生命体であると思えた。そんな「傾城阿波鳴門(けいせいあわのなると)」に魅かれて、「阿波十郎兵衛屋敷」にまで足をのばし、さらに何度かの人形浄瑠璃の公演にも出掛けた。「傾城阿波鳴門」は、 1698年に罪状も明らかにされないまま藩の政策上の犠牲となって処刑された庄屋板東十郎兵衛の名を借りて、お家騒動の物語に仕立てたものと解説される。その板東十郎兵衛の屋敷跡で演じられる人形浄瑠璃は、いわゆる「農村文化」&「農村舞台」を象徴するものである。
「傀儡(くぐつ)かぁ~」と、ふっと笑った。師匠の言い回しそのものになるまで繰り返した文章修行の日々・・・形からではあるが、いつしか師匠が乗り移って来て、ひとさしの舞を舞わせてくれた。所詮は守破離の世界、いつかは分かれて去っていくものであったが、一時の憑依は己を豊かに形成させた。「似て非なるもの」として終わらなかった人生・・・思い出せば楽しかった傀儡としての日々なのかもしれない…。