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snowmanさん (7j5166em)2021/8/14 10:44 (No.251049)削除そう言えばと思い出した・・・
いつも高田分校を思い出し、懐かしんでいるが…そう言えばと思い出した。高田分校が存在した時代、長岡市には「長岡分校」が存在していた筈である。当然、統合移転の波の中で長岡分校も新潟本校に吸収され、姿を消した。しかし、激しく統合移転に反対した高田分校に比し、静かに長岡分校は終焉を迎えたように思う。長岡市は高田市に似た古色蒼然とした町と聞き知っていた。しかし、一度たりとも訪れたことはなく、当然のこととして長岡分校の姿を見たこともなかった。調べてみると、「新潟第一師範学校」の中に、その変遷に関する記載があった。
新潟第一師範学校男子部
前身の新潟県新潟師範学校から引き継いだ新潟市旭町通2番町 (現・中央区旭町通2番町) の校地を使用した。同校地は後身の新制新潟大学教育学部に継承され、1982年(昭和57年)6月に現在の五十嵐キャンパスに統合移転完了するまで使用された。現在、旧旭町校地は旭町キャンパス (医学部・歯学部) の一部となっており、一角に旧・師範学校児童博物館 (師範学校記念館) が新潟大学あさひまち展示館 (旭町学術資料展示館) として残されている (登録有形文化財)。
新潟第一師範学校女子部
前身の新潟県長岡女子師範学校から引き継いだ長岡市東神田町の校地を使用した。後身の新潟大学長岡分校は東神田町で発足したが、1951年4月に教育学部長岡分校と改称したのち、1953年8月、工学部の東隣 (長岡市学校町) に移転した。教育学部長岡分校は1981年4月に廃止され、新潟市の教育学部本校に統合された (教育学部長岡分校の跡地は、1984年から附属長岡小・附属長岡中・附属幼の校地となっている)。
東神田町の旧校地は附属長岡小 (1962年まで)・附属長岡中 (1959年まで)・附属幼 (1963年まで)や長岡市立東北中学校に使用されたが、師範学校時代からの旧校舎は1965年頃焼失した。
「ほぅ~」と溜息をついた。あの「新潟第一師範学校」と「新潟第二師範学校」という学閥争いの中で、長岡分校は「本流」とされた新潟第一師範学校の側であったのだ。それも「新潟県長岡女子師範学校」の流れからか、「新潟第一師範学校女子部」という特殊な位置づけであったのだ。統合移転は、いわば「念願の合流」であり、反対する立場でもなく、スムーズに移転は完了したことであろう。
現在の長岡市の地図を見ても、その跡を辿ることもかなわない。そんな現状を見れば、僅かでも跡を窺い知ることができる我々は、幸せな存在だと言えるのだろう。