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snowmanさん (7j5166em)2021/5/21 13:10 (No.212347)削除雨降り続く中、ジイジの仕事はちりめん山椒(笑)・・・
知らないことに着手するときは、とりあえず言われた通りにやってみること。そして、そのことが完全にできるようになること。これが鉄則ですね。
かつて、「篆刻」が高校書道の学習対象となったとき、篆刻に関わる方々がかなり厳しい批判をされました。結局、「軽々しく扱うな」ってことなんですが、教室では総てのことを順序だてて正当な手法で行うことは難しい。だから、どうしても端折りながら簡素化していく。これは仕方ないことです。とある高校を訪れたとき、見事な刻字作品が並んでいたので「何時間かけられるんですか?」と聞きましたら、「30時間以上~」(すみません、既に正確には覚えていません)という回答でした。若かった時代ですから、それ以上は何も言いませんでしたが…「いくら何でも、それはあかんやろ?」と思いました。確かに正式な手順で見事なモノはできるだろう。しかし、根底から教育計画というものを壊してしまっている。
問題なのは、指導者である教師が正式な手法を身に付けた上で、簡略化を行ったかどうかなんだろうと思います。多くの場合、「篆刻!? ああ、こういう感じでハンコを作らせればいいんだろう?」みたいな調子で、教師自身がアバウトな知識・技術で始めてしまうと、結局は「似て非なるもの」が出来上がってしまう。それで両者が安易な成就感を味わって終了してしまう。それじゃ、何かを見失っていますよね。教師は少なくとも、第一段階は「篆刻」という芸術理解のために謙虚であること。それなくしては、確実な成果を期待することなどできません。
さて、「ちりめん山椒」ですが(笑)…同じことでしょう? 見よう見真似でやったって、何とか「らしきもの」は出来るかも知れない。でも、「何となくやったら、何となくらしきものができた」というのは、成功しているとは言えません。特にね、人から「流石ですね!」なんて言われて有頂天になったりしているのは、極めて志が低い人間に成り下がってしまうということ。謙虚に学ぶ…そこからが、総てのスタートだと思います。「言ったことしかできない」のではダメ。しかし、それ以前に「言ったことさえできない」のは話にならない。それに匹敵することです。(学生たちに話していたことを思い出しました 笑)